44歳からの着床前診断

神戸ARTレディスクリニック(旧名: 大谷レディスクリニック)にて着床前診断をしている44歳。(現在45歳) 絶対に妊娠・出産して我が子を育てます。→ 45歳 正常卵を移植し妊娠 → 46歳で出産しました!→47歳 第二子に向けて再始動しました。絶対に妊娠・出産して第二子も育てます。→47歳でローリスクモザイク胚を移植して妊娠→48歳で元気な第二子を出産しました!!

これまでの不妊治療の流れ⑦

5w5d 検査結果


hcg 2500くらい

胎嚢 5.2ミリを子宮内に確認。


これで子宮外妊娠の可能性がなくなりました。


ただ、先生は低い、小さい、難しいかもしれない、と。


6w3d、胎嚢 8.9ミリ。

胎芽が見えない。


7w3d、胎嚢 14.4ミリ。

胎芽 1.7ミリ。


小さい。

心拍見えない。。。


先生に、難しいと。

あと3日して心拍確認できなかったら、流産だと。


胎嚢も、胎芽も育っているのに、、

そんな風に思いました。


7w6d、胎芽6.5ミリ。

大きくなってる!!

でも、心拍確認できなかった。


稽留流産

流産手術を勧められた。


病院では、たんたんと物事が進んでいく。

診察室や待合室では、泣かずに放心状態だった。


でも、家で一人になると、夫と二人になると、崩壊した。


流産手術日が8w3dに決まった。



これまでの不妊治療の流れ⑥

ET14(D33)本判定の日。


中間判定がhcg 10以上の基準のところ、14.7もあった私は、大丈夫だろうとどこか安心していました。


診察室で血液検査の結果を渡されました。


hcg 98.5


医師に、

う〜ん少し少ない。もうちょっと上がっててほしいところ。

でも初期胚移植だから、思っているよりも着床時期が遅くなったのかもしれないから、様子を見ましょう、と。


まだ大丈夫だろう、そんな風に思いました。


3日後のET17、数値よあがれ!と思いながら血液検査しました。


診察室での結果、

hcg 362.4


よかった!上がってる!と私は思いましたが、

医師は渋い顔。


やはり、数値が低いと。

子宮外妊娠の可能性もあるし、ダメな可能性もあると。


ショックでした。


でも、まだ私は諦めていませんでした。

これから大きくなってくれるんじゃないかって。


ET21 再度測定。


hcg 1201.5


私は増えてる!!と思ったけれど、

やはり先生は少ない、遅いと。


内診で、もしかしたらこれかなぁ、、という胎嚢のようなものを指しましたが、

あまりに小さく、写真はもらえませんでした。

5w2dだから、本当はもっと見えてるはず。


でも、まだ望みがあるんじゃないか、

そんな気持ちもありました。



これまでの不妊治療の流れ⑤

受精卵が確実にお腹にいるであろう毎日は、

ほんのりうれしかったです。


この子と人生を過ごせれば、一体どんな子になるだろうか、と。


ET9に、血液検査で中間判定がありました。


ドキドキしながら、診察室に入ると、

その日は女医さんで、検査結果の紙を私の前に出しました。


hcg 14.7


妊娠していると上昇するhcgの値です。


先生は、

着床していますね。今の日数だと10以上あればいい、と。


夢のようでした。

一度の移植で妊娠するなんて。


もう1つは胚盤胞まで育ち、凍結しました。

これでもしかしたら第二子も。


そんな風に思っていました。





これまでの不妊治療の流れ④

夫に受精できなかったことを報告し、

これからどうするかを二人で考えました。


顕微授精なら、1つの精子だけ入れるのだから、

1つも精子が入ってくれなかったり、

2つ以上入ってしまうことを避けられるのではないかと思い、

次は顕微授精でお願いしようと決めました。


まだ対策があることが心のよりどころでした。


9月中旬にリセットし、

D17である10月1日に二度目の採卵。


3個とれ、顕微授精し、

そのうちの2個が分割してくれました。


あぁ、顕微授精にしてよかった。


D19に4分割の受精卵を初めて移植しました。

グレード1の写真で見る限り、とても美しい受精卵でした。


こんないい受精卵なら上手くいくかもしれないと、うれしかったです。


この子のアルバムは、4分割の受精卵から始まるのだと、少し夢みていました。



これまでの不妊治療の流れ③

2016年8月、いよいよ体外受精が始まりました。


クロミッドと、D8から一日おきの注射での誘発です。

自己注射ではなく、毎回病院での注射でした。


D16で採卵2個。

体外受精(ふりかけ)し、うまく分割したら、2日後に初期胚移植の予定でした。


指定された受精確認の日、緊張しながら、病院に電話を入れました。


その日は仕事が休日だったので、家のリビングからかけました。


培養室につながり、名前を言うと、


『2つともうまく受精しませんでした』と。


まさかこんなところでダメだとは思っていなかった分、

頭が真っ白になりました。


1つは、うまく受精せず、

もう1つは、精子が1つ入ったら他の精子は入れないところ、うまくシールドできなかったようで2つはいってしまったとのことでした。


想像もしていなかった結果で、ショックでした。


あぁ、自分のヒトとしての能力を全否定されたような感覚でした。


電話を切り、家にいた夫に報告しようと向かったら、

気がついたら、夫の腕の中で、泣きじゃくっている自分がいました。



これまでの不妊治療の流れ②

2016年3月に紹介していただいた不妊治療病院に受診し、

何も詳細がわからない状態の私でしたが、

すぐには本格的な治療を始められないものだということがわかりました。

最初は、検査、検査、検査です。

これで1ヶ月少しかかったと思います。

そのうえ、風疹の抗体が消えてしまっていたので、

ワクチンを打ち、2ヶ月避妊期間になりました。

その間、健康診断の再検査で胆石が見つかり、

妊娠中に手術ができないことから、

今のうちに腹腔鏡手術で胆のうごと取ることになりました。

その後不妊治療再開してもいいと許可を得て、

本格的に始まったのは2016年7月です。

春に43歳の誕生日が来ていたので、

もう不妊治療の助成は受けられません。

全て自費の治療になります。

それでも、子どもを授かる可能性にチャレンジできることは何ものにも変えがたいものでした。

とても協力的な夫に感謝しています。

検査結果はほぼ問題なく、

7月に一度、人工授精をしました。

結果は、ダメでした。

年齢的に時間的余裕もなかったので、8月に体外受精にステップアップしました。

体外受精なら、妊娠できるのでは?と、

まだまだ安易に考えていました。

これまでの不妊治療の流れ①

42歳で結婚。

1年間は自然妊娠を目指していました。

43歳を目前にしたある日、生理が来なくて

生理不順と認識して近くの産婦人科に受診。

そこで妊娠希望と話すと、医師にこう言われました。

『年齢も年齢だから、本当に子どもが欲しいなら体外受精をする気はあるか?

もし体外受精をする気があるなら、妊娠率の高い病院を紹介する。』

私は二つ返事で、『お願いします!』と言いました。

その場で電話をしてくださり、

電車で20分くらいのところにある不妊治療専門病院の予約を取ってくださいました。

本来なら、初診に半年待ちだったそうですが、

無理を言って2日後に予約を入れてくれました。

そこから、私たちの不妊治療が始まりました。