44歳からの着床前診断

神戸ARTレディスクリニック(旧名: 大谷レディスクリニック)にて着床前診断をしている44歳。(現在45歳) 絶対に妊娠・出産して我が子を育てます。→ 45歳 正常卵を移植し妊娠 → 46歳で出産しました!→47歳 第二子に向けて再始動しました。絶対に妊娠・出産して第二子も育てます。→47歳でローリスクモザイク胚を移植して妊娠→48歳で元気な第二子を出産しました!!

これまでの不妊治療の流れ⑨

手術室へ呼ばれる。

行きたくない。

この子と離れたくない。

でも行かないといけない。

処置台に座り、点滴やら、固定やらが進んでいく。

女医の先生がやってきた。

麻酔が入る。

『先生、この子をよろしくお願いいたします。』

言うか言わないかの瞬間に、意識がなくなった。

気がついたら、真っ暗な待機ベットの上に寝ていた。

手術は夢だったんじゃないかと思った。

でも、お腹の痛みに現実を思い知らせる。

あぁ、もうお腹にいないんだ、、

涙がハラハラと溢れてくる。

喪失感は想像を絶するほどだった。

しばらくしたら看護師さんが点滴を外しにきた。

診察をして夫に連絡して、車で迎えに来てもらった。

フラフラだった。

肉体的にも、精神的にも。

沈んでいる私を少しでも元気づけようと、夫が外食を提案してくれた。

ごはん作る気力はない。

どこに行きたいかと言われ、食べる気もあまり起きなかったので、スシローなら1皿だけでもいいかと思いスシローにした。

テーブル席について、夫と向かい合う。

頼んだお寿司がきて、一口食べたら、

涙が溢れて止まらない。

周りには小さい子どもを連れたたくさんの家族づれ。

あの子が生まれてたら、私たちもあんな感じだったのかなと思うと、いたたまれなくなった。

涙が止まらないまま、お寿司を食べていた。

夫は心配そうに見ていた。

帰宅して、それからの毎日は鉛のようだった。

生きていても、生きていない感じ。

まだ体温も高く、軽いつわりもあり、腹痛も続いた。

仕事を在宅勤務にしてもらい、なんとか過ごした。

気がつくと、あの子を思って涙が止まらない。

朝がきて、起きて

廊下に出たら夫がいて。

夫の顔を見たら、うわーんと声をあげて泣いていた。

もう、精神的にも肉体的にも崩壊の毎日。

誰にも会いたくない。

自分を保てない。

自分が壊れていた。

そんな私を夫は優しく抱きしめてくれた。