44歳からの着床前診断

神戸ARTレディスクリニック(旧名: 大谷レディスクリニック)にて着床前診断をしている44歳。(現在45歳) 絶対に妊娠・出産して我が子を育てます。→ 45歳 正常卵を移植し妊娠 → 46歳で出産しました!→47歳 第二子に向けて再始動しました。絶対に妊娠・出産して第二子も育てます。→47歳でローリスクモザイク胚を移植して妊娠→48歳で元気な第二子を出産しました!!

着床前診断 1回目周期②

D9診察。

卵胞 8.3ミリ

あまり卵胞が育っていなく、つぎはD14の通院を指定されました。

 

D13診察。

卵胞 19.8と20.4ミリ

大きくなってる!!しかも2個測ってくれた。

以前に通っていた病院では、このくらいの大きさになったら2日後に採卵となっていた。

今回も採卵決まるかなと思っていたら、

『うーん、もう少し育てたいね』 と。

え?!破裂しない?!?大丈夫かな、、と思っていた。

卵を育てるhmgの注射だけでなく、ガニレストという排卵を抑制する注射もプラスするとのこと!

がんばれ、、私!!

次の日も診察するようにとのこと。

急いで東横イン三ノ宮2を予約した。

 

D14 採血後に診察

卵胞 19.8と20.8ミリ

昨日と変わらない!!ちょっとショック。

血液検査結果

E2 1574

LH 2.15

また明日も診察するようにとのこと。

hmgとガニレストの注射。

今日は採血も入れると3回も、ブッスリでした。。

 

D15 診察

今日は大谷先生が休診だったため、

初めて森山先生の予約を取りました。

卵胞 23ミリくらい!!

うわっ!!大丈夫?!採卵までに破裂しないかな??

2日後にようやく採卵決定!!

先生『クロミッドは今日まで飲んで、、』

私『え?!もう飲み終わってます。』

先生『無くなりそうやったら、自分で言わないかん!最初に採卵周期のプリント説明してもらってるでしょ!!』

もらいました。でも、低刺激、アンダゴニストなどは書いてあったけれど、大谷先生に中刺激でいきましょうと言われたけど、家でプリント見ても中刺激は載ってなかったから、どんなふうにするのかわからず、先生にお任せしてた。。。

前の病院はあらかじめ、クロミッドが無くなりそうだったら必ず声をかけるように何度も言われたけれど、

そうか、この病院は自分で管理しないといけないんだなとわかった。

叱っていても森山先生は丁寧に、プリントを出して説明してくれた。

お時間とらせてすみませんでした。

もう今回はクロミッドをのまず、ガニレストだけ注射。

今日の夜中0時50分にhcgの自己注射をするようにとのこと。

忘れないように10分前にアラームをセットした。

 

 

 

 

 

着床前診断 1回目周期①

2017年4月2日リセット。

 

D3の大谷院長の予約を取ろうとするがいっぱい。

電話で相談したところ、前日にキャンセルされる方も多いので、何度もチェックしてくださいとのこと。

それでも取れなければ当日受付で診察はできるとのこと。

でも、当日受付では医師の指定はできません。

 

私は次の日に大谷院長の予約を取ることができました。

 

D3当日、羽田からスカイマーク神戸空港へ。

いつも9時5分羽田発の便に乗っています。

 

11時ごろに病院で受付。

11時30分に予約。

診察に呼ばれたのは、2時間後でした。

 

診察して、採卵に向けて卵を誘発していくことが決まりました。

卵巣の状況によっては、採卵周期休みになることもあるそう。

よかったです。

 

D3夜から朝夕2回、クロミッド1錠ずつ服用。

1日おきに自己注射となりました。

 

自己注射は初めて。

しかも私は注射嫌いでこわくて刺すところ見たことないです。。

 

看護師さんから、自己注射のやり方を教えてもらい、

練習として看護師さんの目の前で、準備から注射までを今日の薬剤で行いました。

 

恐怖で、アンプルを折るだけでも手が震えてました。

 

刺すときは更に恐怖で、なかなか覚悟が決まらない。。

エイッ!とお腹にブッスリと刺し、引いて血液の逆流がないかを確かめてから薬剤を注入。

 

針を抜いたら、血がたらっと出たのをみて更に震える。

もう死にそう、、

 

どうもどこかの時点で血管を引っ掛けたようでした。

でも看護師さんは、大丈夫だね、ちゃんと自分でできそうだね、と。

 

これが1日おきにやってくる、、(泣)

でも、これで子どもを授かれるかもしれない

。。。がんばる、と決めました。

 

次の通院はD9の4月10日を指定されました。

いつから1日おき、または毎日の診察になるかよめなかったので、スーツケース持参でしたが、帰れるとわかり安心しました。

 

これくらい日程が離れていると飛行機が早割の値段で取れるので、とても助かります。

 

大谷レディースクリニック 初診、遺伝カウンセリング

大谷レディースクリニックでの初診は、予約が必要です。

大谷院長の初診、着床前診断を希望していることをお話して電話で予約しました。

 

初診は、私一人でもよかったのですが、

夫も一緒に来てくれました。

 

患者が多いので、待合室は座れない人もチラホラいる時があります。

当日受付の患者もいるので、予約時間通りに診察されません。

 

今までの経験では、だいたい予約時間から早くて1時間後〜1時間半後、

長くて3時間半待ちました。

 

でも一度だけ、予約時間よりも前に受付した時に予約時間の30分前に呼ばれたことがありました。

いつも予約時間前に行きますが、早いのはとてもレアですね。

 

初診では長い問診票を記入し、

診察室に呼ばれ、

大谷院長から着床前診断や誘発方法などの情報をたくさんのプリントや、パソコン画面を用いて説明されました。

 

大谷院長の話し方は、モニョモニョしていて

そのうえマスクをしているので、なかなか聞き取るのが大変でした。

 

他の方のブログにもありましたが、

まるでフランス語のよう。笑

 

断られる覚悟もしながら行きましたが、

それらしい言葉は最後までありませんでした。

 

診察室から出て、

『断られてないよね』と夫に確認し、安堵しました。

 

初診後に受付で、遺伝カウンセリングの予約をします。

初診を受けないと、遺伝カウンセリングの予約は取れません。

 

昔のかたのブログで7ヶ月待ちという記事を見たのですが、

私は約2ヶ月で予約が取れました。

 

こちらは、大谷院長ではなく、専門の遺伝カウンセラーのかたと1時間〜1時間半くらい話します。

 

これは夫婦で受けるのが必須です。

 

遺伝カウンセリングでは色んな説明や確率を説明してくれ、私は今までの治療歴などを話しました。

 

その際、手元にある今までの資料は全て持って行かれたほうがいいです。

 

私は、今までの検査結果データ、流産時の胎児の染色体検査結果などを持参しましたが、

染色体検査結果を見て、転座はないから夫婦の染色体検査は必要ないでしょうと言ってくださいました。

 

遺伝カウンセリングを受けた後、次のリセット3日目から採卵周期に入れます。

 

私は初診を2016年12月初めに、遺伝カウンセリングを1月末に受けましたが、

仕事を3月下旬まで入れたので、4月初めのリセットから採卵周期に入りました。

 

ようやくスタート地点に立てました。

 

 

仕事について

私は会社員です。

普通の事務職ではなく、少し専門的な仕事です。

 

不妊治療を始める前までは、月の半分は出張で日本中を飛び回る生活。

 

でも、不妊治療はいつ病院にくるよう言われるか予定が立たないもの。

全てが体調次第になります。

 

不妊治療を始めると、これまで通りの仕事はできないので、

不妊治療のために出張をしない方向でいきたいと相談しました。

 

数ヶ月先まで入っている出張はよほどのことがない限り行く。

でもその先は入れないで欲しい、と。

 

会社は了承してくれて、

どうしてもというときは、他の方に代わりをしてもらうように手配するとまで言ってくれました。

ありがたかったです。

 

今までのように働かない時点で、皆様にはご迷惑をおかけしましたが、

最初の検査もなるべくシフト休に当たるようにして、ある程度は上手く納めました。

 

近医での人工授精、体外受精までは、

朝から不妊治療病院に行き、2〜3時間待ちで診察等を終え、その足で片道1時間の通勤をして会社に行き、

13時-22時の時間で働いていました。

帰りは1時間20分。

家に着く頃には日付が変わりそうでした。

ずっと定期的に続くので体力的には辛かったです。

 

流産して、神戸の病院に通おうと決めた時、

会社には、事情を話して相談しました。

結論としては、3ヶ月の休職してもいいと仰っていただけました。

うれしかったです。

少しでもできることはやろうと、休職前の2017年3月までは、入れられるだけ仕事を詰め込みました。

 

約束の6月末、もう今日です。

6月初めに、まだ結果が出せていない状況を会社に話して、希望としてはあと1年チャレンジしたいとお願いしました。

 

快諾していただいた会社に、周りの皆様に感謝しても足りないくらい、ありがたかったです。

 

ですので、現状は休職というかたちで、

不妊治療に専念させていただいています。

 

私はとても恵まれていますね。

 

 

 

これまでの不妊治療の流れ⑩

2回リセットしないと、次の採卵ができないと言われていた。

もう43歳9ヶ月。

時間がない。

2回後のリセットはおそらく2月あたり。

それから採卵周期と考えると、流産をすると5ヶ月〜半年くらいがダメになるとわかった。

流産理由は、染色体検査の結果、染色体異常だった。

着床しても流産してしまう受精卵。

女の子だった。

凍結してある胚盤胞を移植しても、

新たに顕微授精をしても、

また染色体異常だったら流産してしまう。

もう、あんな精神的にも肉体的にも崩壊する状態にはなりたくない。

なんとかならないか、ネットで検索し続けた。

そこで、初めて着床前診断を知った。

受精卵を子宮に戻す前に検査し、染色体異常が判別できる技術。

どうしてもこれを受けたいと思った。

調べていくと、私の条件では認可されていない。

でも、神戸の大谷レディースクリニックは実施している。

この病院に行きたいと夫に相談。

でも関東から神戸に頻繁に行くとなると、まともに仕事に行くことはできない。

日程が確約できないから、予定がたたない。

他の方のブログで、大谷で採卵するには、

まず初診し、後日遺伝カウンセリングを受けた上でないと始められないことを知った。

年齢でやんわり断られた人のブログも読んだ。

ももうすぐ44歳。

断られる可能性もある。

とにかく初診で、もう流産をしたくないと相談してみよう。

断られなかったら、仕事をどうするか会社に相談しよう。

遺伝カウンセリングの予約もいっぱいみたいだから、何ヶ月かかかる。

今の採卵できない期間のうちに、その時期を当てよう。

最小限のロスで済む。

2016年12月5日、大谷レディースクリニックに初診。

断られずに遺伝カウンセリングの予約が取れた。

第一関門突破。

遺伝カウンセリングは、ほぼ2ヶ月後の1月末に予約できた。

あとは、会社に相談しないといけない。

流産手術から1ヶ月半がたち、ようやくリセット。

107日ぶりのリセット。

2016年も今日で終わろうとしていた。

これまでの不妊治療の流れ⑨

手術室へ呼ばれる。

行きたくない。

この子と離れたくない。

でも行かないといけない。

処置台に座り、点滴やら、固定やらが進んでいく。

女医の先生がやってきた。

麻酔が入る。

『先生、この子をよろしくお願いいたします。』

言うか言わないかの瞬間に、意識がなくなった。

気がついたら、真っ暗な待機ベットの上に寝ていた。

手術は夢だったんじゃないかと思った。

でも、お腹の痛みに現実を思い知らせる。

あぁ、もうお腹にいないんだ、、

涙がハラハラと溢れてくる。

喪失感は想像を絶するほどだった。

しばらくしたら看護師さんが点滴を外しにきた。

診察をして夫に連絡して、車で迎えに来てもらった。

フラフラだった。

肉体的にも、精神的にも。

沈んでいる私を少しでも元気づけようと、夫が外食を提案してくれた。

ごはん作る気力はない。

どこに行きたいかと言われ、食べる気もあまり起きなかったので、スシローなら1皿だけでもいいかと思いスシローにした。

テーブル席について、夫と向かい合う。

頼んだお寿司がきて、一口食べたら、

涙が溢れて止まらない。

周りには小さい子どもを連れたたくさんの家族づれ。

あの子が生まれてたら、私たちもあんな感じだったのかなと思うと、いたたまれなくなった。

涙が止まらないまま、お寿司を食べていた。

夫は心配そうに見ていた。

帰宅して、それからの毎日は鉛のようだった。

生きていても、生きていない感じ。

まだ体温も高く、軽いつわりもあり、腹痛も続いた。

仕事を在宅勤務にしてもらい、なんとか過ごした。

気がつくと、あの子を思って涙が止まらない。

朝がきて、起きて

廊下に出たら夫がいて。

夫の顔を見たら、うわーんと声をあげて泣いていた。

もう、精神的にも肉体的にも崩壊の毎日。

誰にも会いたくない。

自分を保てない。

自分が壊れていた。

そんな私を夫は優しく抱きしめてくれた。

これまでの不妊治療の流れ⑧

8w3d、手術をする病院。

ここは女性のみしか入れないクリニックだったので、夫は近くの喫茶店で待っていてくれた。


最後のエコー。

胎芽も胎嚢も少し小さくなっていた。

心拍も確認できない。


『もう成長していないんだ、、、』


ようやく、そう思えた。


血液検査をして、胎児の染色体検査もお願いした。

染色体検査は自由診療だから、8万円かかる。

それでも、私は結果が知りたかったので希望した。


後々、これは受けていてよかったと感じた。


流産手術前の処置、ラミナリアを入れて子宮口を広げる。

とても痛い処置だとネットで見ていたが、私はほとんど痛くなくすんだ。


先生が上手だったのかな。

これからだと思っていたら、もう済んだと。

ものすごく感謝した。


何時間かベットで待機。


その間に、妊娠したことを知らせていた会社の人たちに流産したことを報告。


いただいた暖かいメッセージの数々に泣けてきた。


この子がお腹にいてくれるのも、あと少し。


私のお腹にきてくれて、ありがとうね。

あなたは私たちの大事な大事な子どもだよ。

こんどは元気になって戻ってきてと心の中で声をかけた。